バツイチ女誕生ものがたり

くろれきし

一度目の結婚生活の失敗は
個人的には”若気の至り”なのですが
結婚も離婚もアラサーだったので
たいして若くはなかったです笑

精神年齢が3ちゃいレベルの話なので
こんなおバカさんもいるのねーくらいの
あたたかい気持ちで読んでもらえたら。

ワーホリinオーストラリア

私は25歳の頃、日本が窮屈に感じて
海外で生活してみたいという気持ちが爆発し
インターネットで現地のエージェントを探し、
気づいたら飛行機のチケットを取っていました。

ワーキングホリデーのビザは年齢制限があるので
今しかないって感じでした。
あの頃の行動力はすごかったなと思います。

滞在先はオーストラリアのシドニーです。
自然と都会が近い素敵な街です。
移民が多いので街を歩いてると
いろんな国の言葉が聞こえてきます。

便利だった点は
・ほぼキャッシュレス
・スーパーにセルフレジがある
・マーケット(市場)が近い
→週末に安くて大容量の野菜や果物が買える

20年前の話です。
オーストラリアでは
銀行のキャッシュカードで
ほとんどの決済ができました。
デビットカードみたいな感じです。
日本は現金払いが主流でした。

不便だった点は
・バスや電車は時刻通りに来ない
・トイレが汚い&少ない
・生理用ナプキンの種類が少ない&質が悪い
→日本から送ってもらっていました。

物価も家賃もすでに高くて
そもそも一人暮らし用の物件は少ないし
アホみたいに高いので
ワーホリ民はシェアハウスが当たり前。

最初はイタリア人のママさん家で
ホームステイをします。
ご主人を亡くされており
おひとりで住まわれている方でした。

私もママさんも口数が少ないので
おしゃべりはあまりしませんでしたが
洗濯をしてくれたり
美味しいごはんを作ってくれたり
とても優しい方でしたので
家を出ていくときは手紙を書いて
泣きながらお別れしたのを覚えています。

その後シェアハウスに引っ越して
3ヶ月ほど語学学校に通っていましたが
結局日本人でつるんでしまったので
語学力の向上にはつながらなかったです(反省)

前夫の出会いから結婚するまで

語学学校を終えた後は生活のため
日本食レストランでアルバイトをします。
韓国人が経営していて
ホールはみんな日本人で
調理場はみんな韓国人でした。

そこで出会った韓国人の方と
お付き合いをしました。
同棲もしました。

彼はすごく優しくて
愛情表現もたくさんしてくれて
こんなに愛してくれる人初めてーと
私は完全に浮かれポンチでした。

私が飲もうとしている缶やペットボトルの蓋を
黙って開けてくれるとか韓国ドラマの世界かよ。
初めて過ぎましたね。

私がワーホリを終えて帰国しても
お付き合いは続きました。
毎日スカイプで電話をしていましたし、
お互いの家族にも会いました。

韓国語も勉強しました。
発音が難しいですが
ハングルは記号みたいで覚えやすく
文法が日本語と一緒で
話し相手もいるので上達が早かったです。

1年の遠距離恋愛を経て
結婚を前提に私は再びオーストラリアに渡ります。

結婚生活

付き合っている時はすごく尽くしてくれたので
そういう彼が大好きで結婚を決めたのですが
私がシドニーに到着した直後から
彼は亭主関白男に大変身。

当時彼は弟くんとそのお友達と一緒に住んでおり
彼らの食事を毎日作るように言ってきました。
嫌な予感…

結婚すると豹変するのは
日韓カップルあるあるというか
よく聞く話ではありましたが
自分の彼は違うって思っちゃうのが女心です。
もちろんそうじゃない人もいます。

楽しい時間もありましたが、
次第に喧嘩が絶えなくなります。

彼は怒りを抑えられなくなると
物を投げたり壊していました。

私が生理で体調が悪くて寝ているときに
”ご飯ないの?”と聞かれたこともありました。
思いやりの欠片もありません。

体調が悪いことを伝えても
”じゃあどうするの?”
って聞いてくるので
”自分で買うなり作るなりして”と言いました。

養ってもらっているなら
多少の理不尽は許容できますが、
彼の給料はできるだけ貯金に回していたので
私のアルバイト代で家賃や食費を負担して
シェアメイトの管理も家事も
私がやっていました。

彼の主張は
”俺の働いている時間の方が長いから
家事はやらない”


付き合ってる時の彼は
私が体調が悪いと
ご飯を作ってくれていました。

結婚した後のこの仕打ちは

許せなかったし悲しかったです。

自業自得ですが
彼がいなければ再び渡豪するなどなかったので
私には彼しかいなくて
彼と喧嘩をしたら逃げ場はありません。

気心の知れた友達も家族も仕事も日本です。

彼は私以上に英語ができなかったので
頼ることもできませんでした。

それでも好きだし、なんとか家族になろうと
私もできるだけのことはしましたが
どんどん疲弊していきました。

離婚へ

結婚して1年半ほど経った頃
耐えられなくなった私は
無理やり理由を作って帰国します。

仕事を再開し日々を過ごすうちに
やっと息ができるーという感覚になりました。
”私の生きる場所はやっぱりここなんだ。”
”戻ったら私の人生がだめになる。”
そう確信した私は別れることを決断します。

彼に別れたいと告げると
薄々気づいていたと言いながら
泣かれました。

そんなとき東日本大震災が起きました。

彼から”オーストラリアに帰って来い”と
言われましたが、
私は”もし明日死ぬことになっても
日本にいたい”と言いました。

結婚の手続きで何度領事館に通ったことか
一緒に永住権を申請するための準備も大変で
やっと永住権も取れたのに
こんなあっさり離婚することになるとは。

離婚するには別居期間が必要だったので
ちょうど帰国から1年経つタイミングで
離婚の手続きをしに渡豪しました。
離婚弁護士の方に一緒に会いに行って
手続きをしました。
※日本でも離婚届を出す必要があります
(私が1人で書いて出せばOK)

帰国直前に反省会をしました。
やり直せないか?と
彼が聞いてきます。

円満離婚ではあったので
険悪な雰囲気もなく最後に楽しく過ごして
頭が混乱したんでしょうね。

私はあなたと住みたい場所が違うから
無理だよと断りました。

喧嘩になった時に物を投げたり壊したり、
妻の体調が悪いのに飯を作れというような人とは
家族にはなれません。

それでも帰りの飛行機では泣きました。

離婚の反省といろいろ

彼だけが悪かった訳ではなく
私も未熟でたくさん反省しました。
離婚はお互い様です。

私は前夫と結婚するとき、
上手くいくわけがないという思いを抱えながら
オーストラリアに行きました。
どう考えても
私に仕事を諦める覚悟がないと成立しないので。
”いつか別れるんだろうな”が
頭から離れなかったです。

でも好きで好きで諦められなかった。

後悔したくない
それだけの理由で結婚したと言っても
過言ではありません。
自分勝手ですよね。

プロポーズもなかったですし
結婚式もしなかったので
彼も決めきれてなかったんだろうなと思います。

お互い地に足が着いていない状態で
現実と向き合わずに感情で行動したくせに
夫はこういうものだとか
妻はこういうものだとか
根拠のない期待だけは持ってしまう。

相手に期待するから傷つくし、
期待通りにならないと怒りが湧いて喧嘩になる。

価値観のすり合わせは
日本人同士でも根気のいる作業で
国も文化も違う者同士なら尚更難しいのに
なーんにも考えていませんでした。

親の反対を押し切って結婚して
両親には不安な思いをさせましたし
裕福でもないのに大学に行かせてくれたので
親不孝の極みです。

私は借金をして学費を払っていたので
卒業後の借金の返済にはかなり苦労しました。
自分のことも大切にできていませんでした。

失敗して学んだことは大きいです。
日本がいかに素晴らしい国なのかも
身に沁みてわかりました。

海外に興味が湧かなくなりました。笑。

離婚して数年後に
Facebookのおすすめに突然
彼が奥さんや子供と一緒に写っている写真が
でてきてびっくりしましたが、
幸せそうで安心しました。

離婚後しばらく彼は電話をしてきたり
トレーニングで絞った体の写真を
メールで送りつけてきたりしていました。

永住権狙いで女が寄ってくるって
相談されたこともあって
”当たり前じゃん!
永住権がなかったら不安で結婚できないよ!”と
説教したことを思い出しました。

という感じで最終的には
彼の再婚を後押しできてハッピー。
おわり。

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